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2011年7月31日日曜日

終電に乗り遅れたら歩くしかないパリ?

もう7月の最終日ですね。ハヤイ!


しかし今月パリは天気が本当に酷かったね、夏にして。。。2、3週間太陽は殆どでなくて、毎日雨に風に低温が続いたから、7月というより11月の様な天気だったの。
昨日からまた多少晴れて来て、今日昼間には24度程まで上がったけど、夕方からまた下がって今肌寒く感じる。最低気温は11度になるそうで「それは夏か」としか思えない。
まぁ、仕方がないと言えばそれはそうだけど8月はもうちゃんとした夏の天気をプレゼントしてくれたら良いね。

さて、この一週間は毎日シャンゼリゼで仕事をした。相変わらず込んでいるけど他の年に比べれば、多分観光客の数は減ったかも。でもいつも何処かでパーフォーマンスをする人がいますね。丁度私がいた窓の下にも。



夜も用事が入っていて忙しかった。
その中で、木曜日に、多分10年振りに友達との再会があった。ロダン美術館のそばに住んでいて、ミネストローネを作ってくれた!実際、その日似合うか会わないかって、ちゃんと決まってなくて私行けるという電話をしたときに丁度買い物から帰って来たそうで「時間がかかるけど、ミネストローネ食べたくなってこれから作るんだけど良ければおいで」と。
美味しく出来上がったミネストローネを食べながら(ちなみにミネストローネって食べるのか、飲むのか)色々と話し合った。
その友達は写真家なので、彼の前で作ってくれたミネストローネの写真を撮るのを遠慮した。
へやには勿論カメラなど撮影や現像用の機材が沢山あったが、楽器も見かけてビックリした。
実は、ジャズが大好きで趣味でクラリネットとサックスを吹いてるのです。
そしてギターも会ったので、弾けるかと思ったら、実は友達のを預かっているギターだそうです。
結局、好きなビデオを観て、ギターとクラリネットのデュオを適当にやってみて盛り上がって、気がついたらかなり遅かった。乗り換えがあるからちょっと心配したが大丈夫、終電に間に合えると思ったら、期待裏切られたの。。。やはり、コンコルドでの乗り換えの通路にあるスピーカーから「クレテイユ行きの8番線は終わりました」という案内が流された。
じゃぁ、多分オペラまで行けば7番線はまだ動いているかと思って、駅から出てオペラまで歩いた。しかし、オペラに着くと、駅がしまるところだった。週末だと2時位まで電車が走っているが平日だと大体0時半と1時前に終わるのですね。
捨て自転車でも借りようとしたら、まだ残っていたのは壊れて使えない物ばかりだった。。。
夜行バスかなぁと考えて、停留所まで行ったが次ぎにくるバズは後30分の予定だった。それに、そのバスは家の方面ではなくて、又何処かで違う夜行バスに乗り換えるか歩いて帰宅する必要があった。
では、タクシーを拾って帰ろうと思った私、またしまった。パリという町には、タクシーは数が多いけど、なぜか必要なときには必ず来ない!又は、通ってもすでに人が乗っている。又は、止めてくれるけど運転集が行き先を訊いてお断りするとかというパターンが非常に多いのね。。。という事で家まで歩いた。
良い事に、東京とかサンパウロの様な広い都市ではないパリだから大体歩けない距離はないけど。。。
結局、コンコルドから自宅までといったこの「散歩」は45以上もかかってしまった。
昔、東京に住んでいたときに2回も終電で寝てしまって、起きたら中央線の高尾駅だった。冬で寒かったので、タクシー乗り場で1時間程並ぶより、西八王子まで歩いて帰った事を思い出した。
今度終電に乗り遅れない様に気を付けましょう。


2011年7月22日金曜日

アパート探しはカフカの世界?

帰国してから、友達の持っている本当に狭いとワンルームに住んでいる。日本で言えば、多分6畳程があるけど、押し入れなどなんの設備もないので、より狭いってことになる。。。一応、トイレとシャワーがあるから、有り難いけど。そして、エレベーター無い日本式の7階にあって、猫ちゃんの餌や砂などを買って帰るとね。。。どちらにしてもパリに着いたときに今払っている家賃異常なお金払えなかったから友達が貸してくれてラッキーだったけど、現在状況が変わってて、もうちょっと良いアパートの家賃払えるから、数ヶ月前からアパートを探している。
しかし、まずは私女優なので勿論正式社員ではないから、問題が始まるのだ。フランスで、アンテルミタン・デュ・スペクタクルとい制度があります。それは、仕事をしない日つまりギャランの無い日には、失業保険が出るという制度だ。当たり前に、その保険を貰うため、いくつかの条件がありますね。
まずは、多くの不動産屋さん又はアパートのオーナーは、失業者だと思って、アパートを見せてくれないのだ。
みせてくれるときは、私の場合その保険と一月の収入を合わせても、目指してる家賃の三倍にならないので、保証人も必要です。
それはそれで良いんですが、例えば、私保証人二人もいて、銀行も保証してくれるのに。。。まだお断りなの。
一人の保証人は、同棲していて、相手の家に住んでいるので家の持ち主でもなく、家を借りるための契約も勿論ないので、下宿して、いつでも追い出される可能性もあると思われて、保証人としては認めてもらえないの。
銀行の保証って、不動産屋さんによって、受けたり受けなかったりするの。理由は「問題があった場合には複雑だから」。それか、昨日言われた理由は「アパートのオーナーは自分で家賃の保険をかけてるから、法律の面では借りる方から保証人も、銀行の保証も受けては行けないのだから」と。
私、銀行の積立金が少しあるから、そのお金で例えば半年分を前払いにすればとまでも言ったが、それも法律批判だそうです。お金が有っても出させてくれない。。。

じゃぁ、どうしてるの、皆?
周りに訊いてみたら、大体収入が低くても割と良いところに住んでいる友達は皆偽物の収入証明書を知り合いの会社に作ってもらってるの。
ヘェ!じゃぁ、この国では、嘘をつけるしかないのか?
その友達は、皆自分の本当の収入だったら「あの人危ないよ、家賃払わない可能性が高すぎるから貸さない」と不動産屋さんが思うけど、皆嘘をつけて鍵を貰って、それはいけないこ事にしても、皆ちゃんと家賃を払ってるから、長年。。。自分が住み易いところに住み続けるには、レストランに行かないとか、ヴァカンスに出ないとか、新しい服をあまり買わないとか。。。それは、自分のお金を何に使うかという問題ですね。選択なのね。勿論、皆子供無しの独身達だ。家族がいればまた違うと思うけど。。。

でも今日、昔の日本人の友達からの電話があって、今度日本に帰る(もう一人?!!皆帰国するんだ?寂しくなるわ。。。)から、その明日そのアパートを見に行く予定だ。旨くいけば、多分私はアパートの件が解決するかも。


2011年7月20日水曜日

サンパウロの公園

今日、毎日の様に一日中雨が降って、風が吹いて、14度位しかなかったの。天気予報によると、来週の半ばまでは良くならないでしょ。なんてなつだ???
何処へも出かけなくて家で練習したり、整理したり、久し振りにお料理を作ったり、作業をしたり過ごした。
さて、寝る前に気分転換に緑と太陽がいっぱいサンパウロの公園の写真をアップロードします。
まずはサンパウロのシャンゼリゼだと言う風に紹介されたパウリスタ大通りにある公園から。


橋の下に見える通りはパウリスタではない。



高いビル並みに囲まれて、車とバイクの音で(サンパウロはバイクの数がものすごく多いのです!)いつも煩いパウリスタとまったく違う雰囲気。


次に、イビラプエラ公園の写真です。この公園は超広くて、その中に近代美術館、現代美術館、日本庭園、2年ごとに世界コンテンポラリーアートの展覧会もあって、ファッションショーや音楽の証などと言った様々なイベントもある。




この湖も大きい!




朝と夕方は特にジョギングをする人たちが多いです。
でも週末や祭日に行くと非常に込むのだ。そしてゴミに物を捨てる人たちはまだ少ないから、残念ながら夜が近づいてくると凄く汚い。ブラジルの人の考えには、「私の」とか「あなたの」とかだとちゃんと決まってなければ「公衆だよ!」ってんじゃなくて、「誰の物ではない」と思ってるようで、「皆」のために奇麗に守りましょうって行動は一般的にはまだ少ない。多分もう一つの理由は、ブラジルの殆どの家にお手伝いさんがいて、自分で掃除するより誰かにしてもらうという習慣もあるね。勿論、多少の収入が無いと雇えないけど、お手伝いさんの給料は低いから、自分より貧しい人って見つかり易くて、低い給料でもやってくれる女性が大勢いるね。
例えば、ブラジルに着いた頃にビックリしたのは、収入の高くない知り合いの家に毎日朝早くから夕方までお掃除をする女性がいて、そして安い給料をもらっていたそのお手伝いさんは、自分の家にも毎日お手伝いさんがいたって事だ。

一応、最近小学校で「ゴミは必ずゴミ箱に捨てましょ」という教育があるそうだが、大人はまだまだ慣れないみたい。



オスカー・ニーマイヤーの設計もある。そ言えば、サンパウロにハニーマイヤーの考えだした建物はいっぱいあるけどね。





アグアデコーコ(ココナツ水)も飲める。美味しい!それに高温の日に、身体の水分を取り戻すことにとても良いです。


2011年7月18日月曜日

6月の「バザルナオム」の公演

今日この間「バザルナオム」の公演のビデオを撮った友達からメールがあった。「ヴァカンスに行って来まぁぁぁす!」と。
そうか。。。じゃ、あの公演のビデオは何時に手に入りそうなの。。。来月?来年?
演劇と歌の混じったキャバレっぽい、とても楽しい公演だった。皆ヴァカンスからパリに帰ったらまた公演をするから、取り合えずそれまで;
写真だけをアップロードしますね。




 















2011年7月17日日曜日

リベルダデ

今日また天気が悪くて、また低い温度、また雨、また強い風と言った秋らしい一日だった。映画にも行こうかと悩んだが、やはり家でやる事もいっぱいだし、こんな天気だし。。。諦めた。
実際、ブラジル人の友達が頼んだ翻訳もしなければならないけど、その前に色々とお掃除と整理をした。そうすれば、写真も整理をして、サンパウロに住んでいたときの写真もいっぱい現れたから、サンパウロはどんな町かを紹介したくなってしまった。

さぁ、まずはLiberdade地区からいきましょ。
「リベルダデ」だが、サンパウロ人の発音だと「リベルダジ」に近いんだけど。。。
とにかく、日本街です。
ブラジルと言えば、世界中から集まった移民達の国ですね。その環境で、日本からの移民の歴史が長いのです。
1908年に、日本からの移民史が始まった。その当時は、神戸から船でブラジルのサンパウロに近いサントスの港へ渡るには三ヶ月間もかかって、長い旅でした。ブラジルには、農業に人手が必要だったけど、勿論その給料は低かったから、日本からの移民達が下町に集まり始めた。その地区は、リベルダデだった。そこで宿泊や食堂と日本から来た人たちのための小さい企業が始まった。
現在、サンパウロ中にお寿司屋さんがあるし、どんなスーパーでもお豆腐とか白菜、大根なども買える。納豆の売ってる普通のスーパーも多いのだ。そしてお醤油なら、ある私のブラジル人の友達はフランスに生活をし始めるまで子供の頃からずっとお醤油ってブラジルの独特の商品だと思い込んでたの!

70年の大阪万博のためヴァリグという航空会社は浦島太郎をテーマにしたCMもあるの。(最後は日本へ帰れて皆と会えるので嬉しいってハッピーエンドになるけど。。。)




今、リベルダデでは日本料理のお店も、日本の翻屋さんも、日本からのレンタルCDも、はんこも、お布団や日本式お風呂などをつくってくれるお店までもあるの!
70年代から韓国人と最近中国人も多くなったけどまだ日曜日にやるリベルダデ広場での市場には、中国の物ではなくて日本のたこ焼きとか焼きそばとかの屋台なの。そういえば、焼きそばの屋台は町中にあるよ!(天ぷらの屋台もあるけどその天ぷらは何となくかわった様子と味だけど。。。写真取らなくて残念だけど)